明治・大正期にタイムスリップ気分…湊町のまちなみ
明治・大正期にタイムスリップ気分
明治29年築、綿や肥料などを扱っていた大西秤(はかり)店。明治26年に建てられた木村邸は長い格子のある町家。
虫小窓や漆喰塗り込めの「厨子(つし)二階」(2階の天井が低く、元来は明り取り窓のある屋根裏部屋を、使用人の寝室などに利用していた町家の様式)が特徴的な大西家は大正5年築。旧酒造の仲田家は大正10年築、「国之富」と書かれたケヤキの屋号が今も掛かっていて印象的です。
この他、湊町通りの入り口、汁なしカツ丼で人気の「濱田屋」も昭和8年築の立派な建物です。
築150年の古い商家の佇まいが店舗の個性を醸し出している「ギャラリーこごみ」や、他にも、古い部材を生かし江戸期の町家を再生させるなど、まちなみの保存にも力を入れています。
砥部焼誕生の発端は伊予市にあり
町並みの中ほどには、大阪商人 泉谷治兵衛の出店跡が残っています。
泉谷治兵衛はは江戸中期寛保年間(1740年代)に、大洲藩と伊予砥石の専売契約を結びました。砥部町外山から切り出される砥石(刃物を研ぐための石)は、「伊予砥」の名前で朝廷にまで知られていました。しかし、生産が盛んになるほど切り出しの時に出る砥石くずもたくさん出るため、その処理に苦心していました。
泉谷治兵衛は、砥石くずから磁器をつくる技術があることを天草の上田屋から知らされ、磁器生産を大洲藩主に進言します。これが、砥部焼のルーツとなっています。写真は西岡邸の北側の土塀に掲示されている、砥部焼で作られたルーツを紹介する案内板です。
伊予灘でクジラ捕獲大作戦!?
伊予市米湊にある湊神社には、風変わりな塔があります。「克鯨一字一石塔」、明治43年(1910年)に建てられたこの塔は、郡中沖に現れたクジラを供養するものです。
明治42年早春、1頭のクジラが郡中沖に住みつきました。もちろん捕鯨の経験などない湊町漁民は、早く姿を消してくれと願うばかりでしたが、クジラはお構いなしに泳ぎ回ります。
仕方なく捕鯨に乗り出しますが、大網での捕鯨は失敗。下関の馬開捕鯨会社に依頼し、同年3月21日にやっと捕獲しました。
伊予灘にクジラは珍しく、2頭の牛と数百人の力で引き上げられたクジラを一目見ようと見物人が殺到したそうです。湊神社の境内には、当時の写真が残されています。
旧大洲街道の北側、伊予市湊町の町並みは江戸時代から大正時代にかけて建てられた町家が今も残る、レトロ感あふれる通り。切り妻造り平入り、漆喰塗り込めの虫籠窓を備えた家が何軒も軒を連ねています。タイムスリップ気分でのんびりと散策はいかがでしょう。